人声久語(拾遺帖つづり)

世の中そんなに捨てたもんじゃないよ あんまり頑張らないで 捨てられるものは捨てて行きましょう

「草露白」読めますか 

(くさのつゆしろし)と読みます。

七十二候の一つ。二十四節気の白露の初候にあたり、9月7日~9月12日ごろに相当する。季節は仲秋。
今日、この「草露白」にあたります。
草露白は、「草に降りた露が白く光る」などといった意味です。

「露が降りると晴れ」という天気の諺があります。
 
露は、空気中の水蒸気が冷やされてできるもので、風と雲がない晴れた夜に、地上の熱が上空に逃げる「放射冷却」という現象によって発生するのだそうです。

明け方の寒さには、思わず足のほうに下がった上掛けを首まで引っ張り上げたくなりますね。


「露」ですが、「雨」+「路」

「雲から水滴が滴(したた)り落ちる」象形とされます。

語意としては、水滴、わずかな事やほんの少し(露知らず)、はかない様(露のように)、漏れる(露呈)、雨ざらし(露営、露店)等々

朝露に 眩しくきらめく 粒光り
風に乗って 飛んでった
何処まで行くやら 露しらず(久作)

皆さんには、季節の変わり目、体調を壊されませぬよう。。。

どうも、「お露さん」には、寒~いのが似合うのでしょうか?

「お露さん~」
「久三郎さま~」。。。。

みなとに吹く風

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地震が発生していまーす。
避難誘導を行いますので、所員の後に続いてくださ〜い。
地震が発生していまーす。
どなたかいらっしゃいませんか〜
お客様はいらっしゃいませんか〜
階上まで、アリーナまで、急いで避難してください......
担架に運ばれた女性が無事に救護所に運ばれ救護班が駆け付ける。
私たちは、ヨコハマランドマークプラザ3Fまで、無事に誘導案内したのであった。


このような、避難訓練をヘルメットをかぶり、汗だくになりながら行った。
9月1日は、防災の日
8年前の3月11日を経験した私たちには、今までのような安易な時間ではなかった。

先週は、北海道で起こり、2年前には熊本と、今年は大阪。。。。。。

安心して過ごせる日は来るのでしょうか。


私は、このような防災避難訓練をどこで行ったのでしょう。
横浜港に隣接したウォーターフロントに、「帆船日本丸」は、横浜船渠第一号ドッグに何時でも帆走可能なように係留されているのです。

今だに、帆船として海原を翔けることは可能なのです。
帆船日本丸は、1930(昭和5)年に文部省航海練習所の練習船として建造され今年で88歳米寿を迎えました。

1984(昭和59)年の引退を迎え、


日本丸を呼ぼう!
日本丸を活かしたい!

10都市(横浜、神戸、大阪、小樽、船橋、新湊、清水、豊橋、福岡、鹿児島)が誘致に名乗りを上げたが、約83万人の横浜市民の署名により我が横浜に決定されたのであった。
その帆船日本丸を含めたエリアを「日本丸メモリアルパーク」という。
その中に、みなと博物館 があります。

1859年7月1日安政6年6月2日開港された横浜ですが、「歴史と暮らしのなかの横浜港」をテーマに横浜開港159年を展示している港の博物館です。

ペリー来港までは、東海道からも外れた普通の半農半漁の村だった横浜が世界に名だたる港になったのです。
こんな横浜に興味津々じゃないですか?

港がなければ、横浜にはなっていなかったのです。

今その横浜、「みなと博物館」で展示案内をやったり、船に関する折り紙を一緒に楽しんだり、海図教室をやったりとそんなボランティアをやっています。細かな折り紙を必死にやる子供達の目は輝いています。
見栄えは悪っくても最後に完成した時に見せる笑顔に敵うものはないでしょう。

ある土曜日に、ダウン症と言われる少女がお母さんとおばあちゃんとやって来ていました。
休憩を終えたQさんは、席に戻りました。
しばらくはそれに気づかずに眺めていたら、もう一人のボランティアから、ここのおり方がわからないとSOSが入り代わって彼女の前に移りました。

それじゃ、最初から折り直そうか。

私の指先を眺めながら、実際に折っているのはお母さん。
指を一生懸命動かします。

そうだよ。

こうなると三角頭、次にひっくり返すと兎のシッポ。などと話ながら折っていると、ヤッタ!ヨシっ!バンザイ!と弾けるようになったのです。

完成した船を手にした彼女は、ヤッタ!ヤッタ!と嬉しそうに帰って行きました。
高校生かな?
お母さんから何度も「ありがとう」と言われ、「また来なよ」と彼女の手を握ったら握り返してくれました。

こちらが引くことなく、普通に接すれば、怖がっていないことが解るんですよね。

良かった。

もう一人のボランティアさんが言いました。
Qさんに代わったら、彼女の様子が変わったよ。
見る間に、朗らかになったよと。

何にも、自慢話ではないのです。

たかが、折り紙でこんなに幸せな時を与えてもらえるのです。

子供達の持っている素直な一生懸命さ健気さが嬉しいのです。

ありがとう。

土曜日には横浜に来てみませんか。

横浜を案内しましょう。


http://www.nippon-maru.or.jp/memorial-park/index.html

ゆきあいの空

「ゆきあいの空」

夏から秋へと移り変わるころの空。
行く季節と来る季節が同居したような空を「ゆきあいの空」と言うそうです。

自然の秘やかな変化を感じる心のゆとりもなかったのか、心地よい涼風を肌に感じふと朝空を見上げて思い出しました。

もう秋なんだなと。。。。。。。

「ゆきあい」とはであうこと。ゆきあうこと。
出会い、出合い、出逢い、、、

「牽牛・織女の二つ星が相会う空。七夕の夜の空」も、そのように言われているのです。
ふたりが渡る「鵲(かささぎ)の橋」のことを、「行き合いの橋」とも呼ばれていました。

四季の移り変わりのなかで「行き交う季節」
春と夏、夏と秋、秋と冬、冬と春。。。

「隣り合うふたつの季節」が、行き交うのです。

そろそろ君と変わらないといけないんだね
お疲れさま これからは私にまかせてね

雲の形などから、はっきりと感じられるからでしょうか。
夏から秋への変わり目を、『行き合いの空』と呼ぶことが多いようです。

こんなふうに自然を繰り返しながら、時は流れて、移ろい行くのですね。

夏の終わり、しみじみと季節の移ろいを思わざるを得ない秋の朝を感じたのでした。


今だから気づく 「ゆきあいの空」

「あなたに あなたに 謝りたくて」

後になって気づくこと、たくさんあります。

その時は、一生懸命過ぎて見えなかった。

その時は、些細なことだったはずなのに。

その時は、その重さがわからなくて。


素直になって、ゆっくりして、心から、そう思えれば。

遅いってことは、決してないんだよって。

「あなたに あなたに 謝りたくて」

本当はそのとき一生懸命だったからでは、ありません。

言葉にならない言葉を感じ取れない僕のせい。

何年経っても、いくつになってもかわらない。

「ゴメン」って気持ちは、時を遡るのかな。。。

いくらなんでも、それじゃあ都合が良すぎるって。。。。。

隣り合わせのあなたへ「ゆきあいの空」
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one good summer evening

f:id:tanokkyu:20180907172447j:plain心地よい夏の夕方に

台風が、地震が大きな爪痕を残していった週末の夏の日であった。
首都圏だけは、自然の脅威を直接に感じないでいられることに、少しの感謝の中に多くの卑下を感じないではいられない思いでいます。

正直に感ずるのです。

東京オリンピックやりますか?

こんな地震国にまだ、原子力発電を、安全と信じ運転を続けますか?


勝って満州国をひとの土地に作ってしまい、多くの国民に息盛んに移住意識を煽り、それによって長野県から一村を分村までして行き、村長までされたかたの最後の言葉を思い出す。



「善悪に関せず 強いものが勝ち残って
気の弱い正直者は滅し去るのか
それとも正直者が存在し続けて行けば
正しからざる者が 成敗されて行く日があるのか
あったことを 無かったことにはできない
ひとりひとりの人生に思いを寄せて 問い続ける
命を蔑(ないがし)ろにした過ちと
僕らの国は 向き合って来たのだろうか

みんな家に帰りたかったろうに。。。」

今日は、年に二度目の心臓の検査を午前、午後受け、今、横浜まで歩き帰りに公園で本を読んでいました。

こんな、他愛のないひとときの幸せを感じないではいられませんでした。

一日も早い復興を
ほんとうの復興を
心から願っています

そんな夏の夕暮れです

この一時(いっとき) 「刹那」

 

「刹那」とは、仏教で言うところの「時間の単位」である。

梵語で 「Ksana」 という。

指を一回はじく時間が "65刹那" とか、
"75分の1秒" とか言われていますが、ほんの短い時間、いっときなのです。

「時間」は人に平等に与えれ、好きなように使える「財産」といえるでしょう。

使っても、使わなくとも、残ることなく消えてゆきます。

「せつな い」ですねぇ
つらくてやるせなくなりませんか。

「切ない」とは、もともと「大切に思う」ことを言い、
「こころが切れるほどの切実な思い」を表していました。
とても、優美なことばなのです。


こうしている間にも、人生の残り火を燃やしているのです。

この短い時間のつながりこそが、私たちの「一生」であるという事になるわけです。

「刹那」のつながりこそが切ないことなのだと分かってきます。

今このとき、書いている私も見ている貴方にとっても大切な時間です。
大事にしましょう。

そんな気持ちで読んでもらえれば嬉しいです。

無駄にするも、しないも、貴方次第です。

私、次第なのですね。


この短い時間のつながりこそが、私たちの「一生」なのですよ。

龍安寺から見えるもの

龍安寺の石庭は宇宙をあらわしている天体をうつしたと聞いたことがあります。

ちなみに石は15個。
どこから見ても1度に15個は見えないんだそうです。
石の数は全部で15個なのですがどの角度から眺めても必ず1個の石は他の石に隠れて見えないように造られています。

見えないものは「心の目で見よ」との仏教の教えにもあります・・・。

漂う空気や雰囲気からわかること、「色即是空(しきそくぜくう)」という言葉があります。(般若心経(はんにゃしんぎょう))
「この世は目に見えるものと目に見えないものとで成り立っていると言っているのです。それは、見えないものはないものではなくて確かにあるものである」ということなのです。


「心で見なくっちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」


私たちは物事を分かりやすくするために何をするのでしょうか。

可視化をします。
数値化をします。
そして、それだけで評価をしようとします。
万人に「共通するものさし」で評価することを好しとします。
良く言うならば、「あらゆることを客観的に見ることができるでしょ。」と片づけます。

長い短い、大きい小さい、多い少ない、高い安い、速い遅い広い狭い、きれいきたない。。。
この2つしかないのでしょうか
それで、いいのでしょうか

私たちの想いや情の深さなど、心にとっての価値観までを「はかる」ことはできないのではないでしょう。

いえ、「はかる」べきではないのです。

「心の価値観」とは、目に見える形にして比べることなどできないもの、それは自分にしかわからないことだからです。

目に見えなくても信じることのできるもの
って。。。
肝心なものほど目には見えなかったりすることも多いのかな。。。

最も大切なものを目には見せてくれないのは、何故か?

それはそれらを感じようとする心が大切であるからなのでしょう。
目に見えないものは時として目に見えるものより大きい力を持っていたりします。

目に見えないものの方が尊いものなのかもしれませんネ。

大切に育てた一本のバラとの別れから、目には見えないけれど、大切に想い、心を寄せてすごした時間の存在、バラとの思い出は、と気づいたときに
王子にとってその一本のバラは代わりのきかない特別なバラだと見えたのです。

「心で見なくっちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」と、サン=テグジュペリは、私たちに見えない大切さを教えてくれました。


完全な数15に対して、1個の石は隠れて見えないように作られている庭は「不完全」な庭ということになるのだそうです。

「足りないものを見つめて、いまある自分を感謝しなさい」との教えが禅にはあるのでしょうか。
いつかこの「15」も書いて見ましょうか。


こんな、余裕を持って、ひと息ついてみましょうよ。。。。
大切なものは何かって。

虫時雨

虫時雨(むししぐれ)

実りの秋を迎え、台風がまたやって来ます。
重たげにもたげた稲穂達は、大丈夫でしょうか。

もう少しで刈り入れです。

頑張れ!! 皆が待っているよ。

昨夜は一晩中、虫の合唱が聞きながら夢うつつでした。

この時季、秋時雨が降りそそぎ、それに併せるかのように、鈴虫が鳴きしきる声が聞こえてきます。

「虫時雨」を思い出します。

「時雨」とは、降ったりやんだりすることですから、梅雨のような雨には本当は、あたらないらしいのですが。

音を時雨に喩(たと)えたのが。「蝉時雨」「川音時雨」そして、これからが「虫時雨」の季節になるのです。

それから忘れてならないのが「しぐれ煮」でしょう。元来は我がふるさと三重県桑名市の名産であるハマグリを用いた佃煮の「時雨蛤」を指したようで、今日では生姜入りの佃煮全般を言うのです。

「その手はくわなの焼きはまぐり」なんて、いいますよね。
そして、しぐれ煮と言えば桑名の貝新、これ定番。井村屋、すがきやも忘れてはなりません。


日本人は、虫の音を、どちらの「脳」で聞いていたか覚えてますか。

「情緒」は○脳  「理性」は○脳。

この話し、覚えてますよね。
えっーって言う人は、退場です。
ギィ〜〜〜    バタン。


あなたは、「ロゴス」?「パドス」?どちら派ですか。
そうこれです。

人間の脳は、左脳が「ロゴス」、右脳が「パドス」をつかさどります。
「ロゴス」は 、理性、意味、言葉。
「パドス」は 、感情、情熱、情念。


日本人は、虫の声を「言葉」として聞いているのです。

相手の言った言葉から、その気持ちを汲み取る。

それは、言葉によって、どんな「意味」を伝えられるか。

メッセージです。

言葉、文字は「音」を持った、「便り」メッセージなのですね。

「無意味な音」も「意味を持った言葉になる」という事です。

さぁ、虫たちからどんな「音便り」を聞かれるでしょう...

彼らは、台風一過にはまた合唱をはじめますよ

こんな声を言葉て聞くことができる日本人で良かったなぁー


でも、金髪も捨てがたーい。。。