人声久語(拾遺帖つづり)

世の中そんなに捨てたもんじゃないよ あんまり頑張らないで 捨てられるものは捨てて行きましょう

幸せの匂い。。。って

幸せの匂いのする夢

「幸せの匂いのする夢」ってとっても暖かな毛布に包まれたようなフレーズ。

どんな匂い?

どんな色?

どんな音?

そして、どんな夢だろう。

そっと、夕闇に閉じられようとしている帳を開けて、見たくなるような情景。


世知辛い世の中で、ほっと・・・ できたらこんな嬉しいことはないんだけどな。


さぁさぁ小さな軍楽隊に先導されて、嬉しそうな笑顔に溢れ、今日一日、一生懸命に手を振り、足をを上げ飛び上がった面々の行進が始まりました。

楽しそうに跳び跳ねる人

何かを悔いるように下を向く人

一生懸命過ぎてしまった人

足を引きずる人

広げた両手に、、何かを掴んだひと。。。

ソーロ そーろ と、夜が近づいて来ていることを感じさせる闇。。。

両手を胸の前に重ねて、、、窓辺に映る灯りのように、、、貴方だけが、私の胸には
いつも燃えている。。。

 

長くつらい道も、すべてが闇に包まれても

貴方をささえに

ようそろ(宜しく候)

ようそろ (宜 候)

夜の海を航海した経験があるでしょうか。私の一級船舶では、実際航行できる範囲が限られており大洋上を航海することはできません。
しかし、灯台や「街の灯りがとても綺麗ねヨコハマ♪。。。」いやいや^^、
街の灯りが見えなくなることも普通に経験できます。
真っ暗闇の中、月の光に波頭が白く映るだけの海の上は、このコースで良いのか、何やら出てくるのではないかと、、、

そんな事を思っていると遠くからエンジンの音が聞こえてきたりするとそりゃもう心ざわめきます。

そんな時にまず確認するのが「航海灯 げん灯」
広い海で2隻の船が行き会う場合に、相手船の状況は、昼間であれば容易に見ることができますが、
では、夜間はどうするのでしょう。
船の灯火(航海灯)は世界中みな同じで舷灯の左右の色、「右が緑」、「左が紅」と決まっているのです。
緑、紅が見えれば「正面から」
緑が見えれば、相手船は右に進む
紅が見えれば、相手船は左に進む
緑、紅も見えずマスト灯だけならば、同方向に進んでいると、判断するわけです。

本船であれば、その速力たるや恐ろしく早く、あっと、云う間に接近しますし、彼らは、ヨットなど眼中はありません。見えません。
そこで、我々はフラッシュライトでセイル(帆)を照らし、我ら弱き者、転回容易ならざる者、あなたの起こす波で横転もする木葉者、、、を表します。

舷灯の色は飛行機も同じです。夜の空を見て下さいナ。

大学のクラブに入って教わったことに「赤玉ポートワイン」があります。(私と同年代なら容易に想像はつくと思いますが)
船の左舷をポート(port)と右舷をスタボー(starboard)と呼びます。
紅球が左舷、portだ!覚えろと。

さて、人生の中でもどちらへ舵を切ろうかなと迷うことが何度もありました。

船にも、「面舵」、「取舵」と呼びます。

面舵(おもかじ: Starboard side)とは、船舶の航行において、進行方向を右に舵を転ずることを意味します。
3時方向(東)を指すことから「卯(う)」。
「うのかじ」が訛って「おもかじ」になったとされる。

取舵(とりかじ:(port side)とは、船の舵を左にとり、船の進行方向を左に向けることを意味します。
9時方向(西)を指す「酉(とり)」から「とりかじ」。

ではなぜ左側が(port side)(ポートサイド、港側)」と呼ばれるのでしょう。
これは港に停泊した時は常に左舷側に接舷し、常に左側から積み卸しを行っていた事に由来する。
今でも、通常に第一位は左舷停泊となっているのですよ。
港へ足を運んで、見て下さい。

それでは、無事に入港できるように「取舵いっぱい~」ようそろ。

よう そろ 【宜候・良候】
「よろしくそうろう」
転舵のあと,船が今向いている方向へ,または指示された方向へ直進。

だれか、左側に見えていますか。

みんなの航海が安全でありますように。。。

見えるでしょ 「U旗」と「W旗」


f:id:tanokkyu:20181025081314j:image
f:id:tanokkyu:20181025081323j:image

品位、品格、そして品性

品位 (ひんい、grade)と問われて、即座に回答できますか。


人や事物にそなわっている気高さや上品さ。これは、品格とも言うらしい。

 見る人が自然に尊敬したくなるような気高さ、おごそかさ。これは、品性にも由来するのかもしれない。


「品位」は、見た目から想像される育ちの良さや社会的地位の高さ。
これは、無いな。

「品格」は、節操、見識などの立派さ。人間性
これは、人が与えてくれるとして、無いな。

「品性」は、、、、
悲しいくらいに、無いのかな。


「位(くらい)」と「格(かく)」と「性(さが)」

【品位】
人や事物にそなわっている気高さや上品さ。社会的地位の高さ。

【品格】
その人やその物に感じられる気高さや上品さ。気品。節操、見識などの立派さ。人間性

【品性】
道徳的基準から見た、その人の性質。人格。

こんな事を思いながら、それは誰なのかなと?と私なりに思って見ました。

「格」は総合的評価ですよね。
昭和の大横綱「太鵬」には、我々には無い品格が備わっていました。「心技体の充実なくして横綱とは言わず」

我が愛すべきオードリーには、「品位」が感じられます。
とても、気高く、物静かな中にある存在感、しかし、それがとても身近に感じられる親しみ。

「品性」は、内面的な心の意味となるのでしょうが。。。
人として、自然に頭を垂れてしまう人、その人の「品性」には敵いませんと。。。
私は、「皇太子 徳仁親王」その人をおいて思い浮かばないのです。
その気高さと、ひとり女性を心から思い、大切にする「紳士な姿勢」。
ひとりの男として完全に脱帽せざるを得ません。


なぜ、こんな事を思ったのでしょうか。。。。
それは、とてもとっても、貧しいのでしょうか。心が。。。。

今の地位が、名声が欲しいばかりに、誇示したいが為に、ひけらかし、弱きを踏み潰し、嘲り笑う、そんな輩が多いと思いませんか。

「真摯な思いで」なんて、紳士が笑いますよ。「真摯」が泣いています。

何をもって、格付け、位付け、品定めをすれば良いのでしょうか。

自分を含めて、考えて見るのも大切な事なのではないかと思います。

まんまるのお月様に顔むけができますように。。。。


上品 と 下品 それと 気品かぁ~

眠りの精(少女は大人になりました)

 

夜のとばり に 包まれた部屋を清しい風がカーテンを揺らす
少女は、闇のまどろみの中で眠りにつこうとしている...

小さい頃読んだ短い童話の絵物語

"眠りの精"というのがいて夜になるとスポイトで子供たちの目にミルクを落とす

目に見えない眠りの精にミルクを入れられると.....どうでしょう?

子供たちは目をこすり あくびをして夢の世界に引き込まれていく

太陽や森の息吹をいっぱいに吸った温かいシーツの中で


私はいまだに そんなやり方でしか、夜を越えることができないことを。。。


こんな想い出があったという事、忘れていないでしょうか

そう。。

少女は、眠りの精がきてくれること 待っています
眠ることで、どんな夢をみられるのかを楽しみにワクワクしながら

そうして、朝にはゆるやかな朝日が、そっと目を開けてくれることを夢をみながら

あ し た に なぁーれ。

ある素敵な女性の話のなかで、寂しがりの怖がりな女の子の小さいときの想い出を知ることになり、それを短い話にしてみました。

明日を迎えたくなる話のような気がしませんか。。。

童話は、実際にある話のようですが、解らぬままの想像や希望が入っているのでしょうか

こんな、可愛くて、せつない心を持ちながら


そして、少女は大人になりました。


いまでも、そうしないと眠れないと彼女は言葉をつづけますが...

いつまでも、憧れをもっていられるようで、ほっとしました。


こんな、女の子に想いを寄せながら果たせなかった男の子の笑った口に、眠りの精が一滴のミルクを落とした。。。
  

あなたは独りではない

マイケルの遺した言葉

「あなたは独りではない」(written by R. Kelly


辛くて、苦しい時。

哀しくて、寂しい時

絶望が渦巻き、

暗闇から逃れられないと涙にくれる時。

どんな言葉にも意味もなく、味気なく感じる時

近くに温かい手があることに気付いた嬉しさ

そんな時、どんなに言葉が虚しい時でも、ふと心を軽くしてくれる事がある

それは、その言葉が、同じ哀しみを知り、哀しみを乗り越えた人から発せられた言葉だから。

あなたもその哀しみが理解できるのですね

よかった

私も知っているよ

私もそれを乗り越えてきたのだから....

そんな言葉は、孤独の中にいる時も、自分ひとりではないと気持ちを包んでくれる

私に勇気をくれる

今、この瞬間も、同じ哀しみや苦しみを持つ人が、必死にその中でもがいている、

がんばっている、生きている、と感じることが出来るのならどんなに心強い応援となるのであろう


ユー・アー・ナット・アローン

一挨一拶(いちあいいっさつ)

こんばんは!

「挨拶」 おはよう ありがとう こんばんは さようなら  やぁ

短い言葉で、お互い挨拶をしています。

この、何気ない言葉、とても大切な人との繋がりを絡める言葉なのでしょうね。

「一挨一拶(いちあいいっさつ)」 これは、禅宗からきている言葉であり、「打てば響くように問答を繰り返すことで、悟りの深さをはかるのだ」と言います。
これが、「挨拶」の由来のようです。

今朝、お昼、帰って、、、
「ただいま」っと、声に出しましたか。


挨拶:両字ともに押す、迫るの意があり、押し進む。大勢の人が押しのけあって進む事をさしています。

「挨」の右字(イ)は、疑うの右字が変形したもので、立ち止まり思い迷うの意。それから、手偏とあわせて「人が思い迷い近づく」となります。

「拶」はせまる。右字は「列」を意味し、「木を指に挟み指かせをする」の意。
「列」はわける、つらなる、つれ、組、仲間を示す。

人が迷い、ゆき会い、すれ違い、立ち止まる。

こんな時の言葉の問答が「挨拶」となり、相手を労い(ねぎらい)、気遣い、無事を祈り、再会を待つ。

みな、些細(ささい)な、ほんのひとときの気づかぬ中に、深い思いが込められているようです。

気づかぬ何気ない言葉。もう一度その気持ちを込めて、言葉にしましょうか。

おはよう。

いってきまーす。

さようなら。

ただいま。

お帰りなさい。。。。

そうして、

君が好きだ!.....


これは、ちと違うのかもしれませんが^^


今日も無事に、早くお帰りなさーい って


  

コーヒーが冷めないうちに


f:id:tanokkyu:20181014150230j:image
朝方まで降っていた小雨が上がり、公園のベンチに腰を下ろす。
前には、子供の自転車の練習をする父と息子、バドミントンをしながらハシャグ親子三人、ベンチに座り単行本を開く紳士淑女たち。。。。
中で目を引いたのは、ワイシャツの袖をまくりゴムボールとソフトバットで、野球を楽しむ5人組高校生である。
この時代は、サッカーかフットサルのようなボール蹴球のシーンであるのに。。。
何故か、、とても懐かしく遠~い昔を思い出す光景なのであった。。。

いくぞー 一番センター 中 ピッチャー振りかぶって第一球を投げました

 

この街にレンガの階段を下りた所に、叔父と姪が二人で営んでいる喫茶店「フニクリフニクラ」がある。

その店には、レジを抜けてカウンターを左に曲がり奥から二番目の席には、何も言わすに本を開き笑うこともなく、座っている夏服の女性がいるのです。
彼女は、トイレに行くとき以外は決してその、「レジを抜けてカウンターを左に曲がり奥から二番目の席」を離れることもなく、トイレから決まった私の席に必ず戻ってくるのです。
夏服を揺らしながら…

ただこの時間を、誰にも渡さぬように、
ただこの場所を、守っているかのように、

そうして、この店にやってくる客には同じような目的があった。。。。

それは、
その席に座っている間だけ望んだとおりの時間に移動ができるという。
過去にも、未来にも、行きたいその日に、、、

ただし、そこには非常に「簡単な五つのルール」があるだけ。

ひとつ.過去に戻っても、この喫茶店を訪れたことのない者には会うことができない

ふたつ.過去に戻っても何をしても、現実は変わらない

みっつ.過去に戻れる席には彼女がいる
席に座れるのは、その彼女がトイレに行くとき席を立った時だけ

よっつ.過去に戻っても、席を立って移動することはできない

いつつ.過去に戻れるのは、コーヒーをカップに注いでから、そのコーヒーが冷めてしまうまでの間だけ
冷めてしまうと戻れない


こんな簡単なルールのはずが、過去に帰ったことで、とても、厄介な、融通のいかない「めんどくさいルール」になるのでした。

誰が試してみても。。。。
「過去」は、過ぎてしまった時間は、終わってしまった事は、悔やんでも、嘆いても、怒ってみても、変わることはないのです。

今があるのは、その、「過去」があるからのですよ。。。

「未来」なら、これから迎える時間ですから、自分の思い、行いで、その人の為にも、自分の為にもなるのですよ。。。。

未来も、今が、この時が、あるからこそ存在していることを教えられました。

「彼女に。。。。」

yuriyuri1003 = yoshihiro1003 なのでした、


タイミングに居合わせなければ、過去に戻るための席に座ることはできないんですよ。


コーヒーが冷めないうちに
川口俊和による日本の戯曲、および日本の小説を原作とした映画です。
監督塚原あゆ子脚本奥寺佐渡

4回泣きました。

今、イヤホンから繰り返し聞こえるのは、
佐野元春「someday」

時の流れに身をゆだねて

是非ご覧下さい

コーヒーが冷めないうちに