人声久語(拾遺帖つづり)

世の中そんなに捨てたもんじゃないよ あんまり頑張らないで 捨てられるものは捨てて行きましょう

木で鼻を括る

 

もともとは「木で鼻をこくる」という、「こくる」は、強くこするの意で、商家では丁稚に貴重品であったちり紙を使わせず、木の棒で鼻水をこすらせた。転じて、ひどく無愛想にもてなすこと、冷淡な態度をとることを「木で鼻をこくる」というようになり、この誤用で「木で鼻を括る」となったとされる。

「やすらかに今はねむり給え」

学友を原子爆弾で亡くした旧制長崎高校生の日記から引用された言葉だと言う。

それには、「万感の思いが込められていて、これ以上の言葉などない。。。」と続く。

今年で73年目を迎えた。

この、広島と長崎の最後の被爆者を迎える日もそう遠くないような気がする。

そんな時に、我が同級生シンゾウ君の挨拶はあれでいいのだろうか。
あれなら、来ない方が、挨拶しない方がいい、訳のわからん外遊にふたりで行ってもらった方が良かったのではないのか。(もちろん自腹でさ)

グテレス国連事務総長は、いみじくも言う「核廃絶は国連の最優先課題である。長崎から全ての国に、目に見える進展を求める。」と。
何故、唯一の被爆国である我が国がそれをできないのか。

これを正しく、「木で鼻を括る」と言わざるを得ないのではないのかと、悲しくなる。

その日に、最後の戦士、沖縄を守ろうとしていた翁長知事が急逝した。
公正、正義、正直を大切にしていた人が。

「真摯」に「粛々」となどと言う言葉こそ「木で鼻を括る」ように1番似つかわしくない彼らに負けるのかと思うと。。。

沖縄に押し付けている我々皆の責任であることをしっかりと理解しないとならないのだろう。

 

なお、「丁稚」の「丁」は下男のことで、下男の通称「久助(きゅうすけ)」は、「久しく奉公する人」を人名のように表した語。 

久しく助ける、奉公するか

 

そして、明日が 15日。。。。