人声久語(拾遺帖つづり)

世の中そんなに捨てたもんじゃないよ あんまり頑張らないで 捨てられるものは捨てて行きましょう

龍安寺から見えるもの

龍安寺の石庭は宇宙をあらわしている天体をうつしたと聞いたことがあります。

ちなみに石は15個。
どこから見ても1度に15個は見えないんだそうです。
石の数は全部で15個なのですがどの角度から眺めても必ず1個の石は他の石に隠れて見えないように造られています。

見えないものは「心の目で見よ」との仏教の教えにもあります・・・。

漂う空気や雰囲気からわかること、「色即是空(しきそくぜくう)」という言葉があります。(般若心経(はんにゃしんぎょう))
「この世は目に見えるものと目に見えないものとで成り立っていると言っているのです。それは、見えないものはないものではなくて確かにあるものである」ということなのです。


「心で見なくっちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」


私たちは物事を分かりやすくするために何をするのでしょうか。

可視化をします。
数値化をします。
そして、それだけで評価をしようとします。
万人に「共通するものさし」で評価することを好しとします。
良く言うならば、「あらゆることを客観的に見ることができるでしょ。」と片づけます。

長い短い、大きい小さい、多い少ない、高い安い、速い遅い広い狭い、きれいきたない。。。
この2つしかないのでしょうか
それで、いいのでしょうか

私たちの想いや情の深さなど、心にとっての価値観までを「はかる」ことはできないのではないでしょう。

いえ、「はかる」べきではないのです。

「心の価値観」とは、目に見える形にして比べることなどできないもの、それは自分にしかわからないことだからです。

目に見えなくても信じることのできるもの
って。。。
肝心なものほど目には見えなかったりすることも多いのかな。。。

最も大切なものを目には見せてくれないのは、何故か?

それはそれらを感じようとする心が大切であるからなのでしょう。
目に見えないものは時として目に見えるものより大きい力を持っていたりします。

目に見えないものの方が尊いものなのかもしれませんネ。

大切に育てた一本のバラとの別れから、目には見えないけれど、大切に想い、心を寄せてすごした時間の存在、バラとの思い出は、と気づいたときに
王子にとってその一本のバラは代わりのきかない特別なバラだと見えたのです。

「心で見なくっちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」と、サン=テグジュペリは、私たちに見えない大切さを教えてくれました。


完全な数15に対して、1個の石は隠れて見えないように作られている庭は「不完全」な庭ということになるのだそうです。

「足りないものを見つめて、いまある自分を感謝しなさい」との教えが禅にはあるのでしょうか。
いつかこの「15」も書いて見ましょうか。


こんな、余裕を持って、ひと息ついてみましょうよ。。。。
大切なものは何かって。