主人公
「主人公」1978年(昭和53年)の「私花集」に収められている。
隠れさだファンとして、30年と言うことになるのか。(今では、40年)
「主人公」とは、いったい誰なのかなぁ。
人みな自分の人生の「主人公」であったはずなのに、時として振り返ってみると、今本当に「この劇」の主人公と言えるのかどうか。
♪時には思い出ゆきの 旅行案内書(ガイドブック)にまかせ
“あの頃”という名の駅で下りて
“昔通り”を歩く
思い出のガイドブックは、それぞれ人の手に持っているはずである。何ページを開いてみようか....
そこに在るのは、楽しい時、苦しい時、淋しい時それを選ぶののも、自分自身であるようだ。
自信のある時? 落ち込んでいる時?....
♪“或いは”“もしも”だなんてあなたは嫌ったけど
時を遡(さかのぼ)る切符(チケット)があれば欲しくなる時がある
あそこのわかれ道で選びなおせるならって…
片道切符のチケットがあれば、時を遡り 「あの頃駅」 で降りてみたくなるとき、誰でもあるのかなと思う。
今、この歩んで来た「航跡」を頼りに....
しかし、「あの頃駅」には、そんなガイドブックは置いてないだろう。
♪自分の人生の中では
誰もがみな主人公
「或いは」 「もしも」の不安は現実から感じることである。
夢の世界を考えることとても楽しくて、嬉しいことばかりで、幸せな気分に浸ることができる唯一の「主人公」となれる場所なのだろう。
夢を見たあと、振り返ってみたあとで、今に戻らなければならない。
人生はひとつの物語になぞらえることができるのでしょう。
そうして、自物語の中心人物となっているのは、「主人公...」
すなわち自分であるはずなのです。
♪あなたは教えてくれた 小さな物語でも
自分の人生の中では 誰もがみな主人公
時折思い出の中で あなたは支えてください
私の人生の中では
私が主人公だと
私の人生の中では
私が主人公だと♪
自分が主人公として、主人公と感じながら、そうして誇りを持って、
あなたの眩しい笑顔と 友達の笑い声に抱かれて
私はいつでも必ずきらめいていた
今から、10年も前の事になる。
2008年8月26日、アフガニスタンで復興支援を続けていた「ペシャワール会」の伊藤和也さんが4人組の武装グループに拉致された。伊藤さんを慕った1000人を超える村人が捜索・追跡に加わり、追い詰められた犯人はパニックとなって伊藤さんに発砲、弾は左太ももの動脈を撃ち抜き伊藤さんは出血死した。まだ31歳の若さだった。
ペシャワール会の用水路1本で数十万人が食べられるようになった。こうした活動に共鳴した伊藤さんは03年から参加し、農業支援を担当した。(伊藤さん悼んでより引用)
(アフガニスタンで亡くなった主人公「伊藤和也さん」の追悼を込め。ご両親の思いを感じ得て)
貴方は、何番で待っていたのでしょうか
"62番”のバスに乗って行けばよかったのに。。。
ゆっくり行きましょう。
その時「音」も聞こえてきたでした。
貴方は「主人公」です。。。
(2008年 作文に加筆 )