人声久語(拾遺帖つづり)

世の中そんなに捨てたもんじゃないよ あんまり頑張らないで 捨てられるものは捨てて行きましょう

。。。らしく。。。ぶらない

「らしく、ぶらない」

自分を正直に表すのって、簡単なようで、とても、とっても、難しい。
だって、素直に、真にさらけ出すとなると、気力と勇気が必要となることが多いのも事実だろう。

しかし、「ぶれない心」を常に持つことができていれば、相手には正しく「、、、らしく」映り、通じている。

先日は、和のオペラと言われる 能「敦盛」を昼間に、夜は音色の違った集まりをひとつにまとめた絵画とする日本フィルによるムソルグスキーの「展覧会の絵」を観劇したのです。

「敦盛」は、ご存知の通り平家の美少年の横笛「小枝」上手の武将で一ノ谷合戦で討ち死することは有名です。(安徳天皇建礼門院らと入水もありますが)
この、敦盛を討ち取るのが、かの「熊谷次郎直実」坂東武者の誉れと称される武人です。(埼玉の方で知らない人はいないでしょうね。)
これは、勝負にはなりません。熊と羊のようです。
源氏に追い詰められ、舟で逃げる平氏の中にあって逃げ遅れたものなのか、馬で沖に向かっていた敦盛をみつけたのです。

「敵に背を向けるのは卑怯であろう。お戻りなされ」

弱冠16歳の若武者、敦盛も堂々と戦ったのですが組み伏せられたのです。
直実は首を取ろうと、武者の顔を見ると薄化粧をした美しい顔立ちの少年てはありませんか。我、息子直家も同じ16歳で、憐れに思い逃そうとするのですが、他の源氏の武者が迫っており、とうてい逃れることはできまいと泣く泣く敦盛を討ち取ったのでした。
その後、直実は武家の無情を悟り、後に出家して高野山に登り、「蓮生」と名乗ったのでした。

ここから、「敦盛」の能世界になるのです。
敦盛の菩提を弔うために一の谷を訪れた蓮生が回想にふけっていると、笛の音が聴こえ草刈男たちが現れます。蓮生が、話しかけると、中のひとりが笛にまつわる話をします。。。。。

蓮生は経をあげ、敦盛を弔うのでした。

その姿に敦盛は、蓮生に対し喜び、平氏最期を迎える前夜の陣内での酒宴のさまを想起して舞を舞います。

法の友である蓮生に回向を頼んで去っていきます。。。。

世阿弥の能では心の葛藤は一切ふれず、むしろ敵同士だった二人が仏縁によって真の友となるという、熊谷の心情に「無常」を敦盛に「懺悔」を語っているように思います。

直実、敦盛、ともに最期は心を交わし、自分らしく、ぶらない姿を示してくれました。

機会あれば、観覧くださいな。。。