人声久語(拾遺帖つづり)

世の中そんなに捨てたもんじゃないよ あんまり頑張らないで 捨てられるものは捨てて行きましょう

朝(あした)こそ

朝(あした)こそ...

週末の金曜日、Friday、明日から休みデイ
皆さんは、どんな今夜をお過ごしでしょうか。
明日の予定を楽しみに着替えを鞄に詰めている人、仕事の納めを報告書に書きとめている人、連休なんて無いさと昨日の続きを普通~に費やしている人、、、様々ですよね。
でも、明日は来るのですよ。

「明日」は、もともと「朝」を迎えるという意味でした。

それが、中世から「前夜に特別のことがあった次の朝を指すようになり、やがて、翌日という意味で使われるようになったのです。

今日の私は、昨日と同じではなく、日々の時を経てゆくのです。
そのことを考えると、毎日が特別な「 朝 」であるとも言えるのではないでしょうか。

「明日と 言う字は、明るい日と 書くのね...」

こんな詩が示すように、朝(あした)を迎えられること、とても幸せなことなのかも知れません。

太陽が明るく顔を出してくれる「明日」が良き日でありますように。

しかし、本当の所、台風がまたやって来ています。同じように、、、、
さも私は普通の通りすがりなんですよと言っているかのように。。。

「若いという字は 苦しい字に似てるわ。。。」

でも、違いますよ。
「苦しい」とは、「古い」ことなの?
「老」と、考えてみたのです。

そうしたら、

「老」という字は 「考える」に似ているじゃないですか
「老人」とは「考える人」也。

・・・老いてもますます考えるようすることで「若く」いれるのだと。。。

これが、どうも「朝(あした)に」つながっていることに感謝なのです。

でも、心の中で日曜日のあの、「サザエさん」time が終ると、どことなくユウツな空気が忍び込んでくるのは「罪」なのでしょうか。。。。

 

「朝は夜の答えなんだよ」と囁いているのが聞こえました。。。。