人を安心させる光に。。。
人を安心させる光に
今日から11月1日となり霜月に相応しい寒い朝となった。
今年も残りふた月、今紀も残り半年。
11月1日は「人を安心させる光」であることを知っていますか。
私達、侵略戦争後ひと桁生まれの世代にとっても、今の世の中の変化に戸惑うことも多く、便利さの優位性から周りから無くなり姿を変えたものも数多い。
かの「つけもののおもし くん」もそのひとり かもしれません。
今日11月1日は、「灯台記念日」なのです。
ペリーが浦賀、横浜に来航し開港されて158年、その折の欧米4カ国の条約で建設された灯台が、「観音埼灯台(横須賀市鴨居)」であり、その起工日が1968年11月1日なのだそうです。観音埼灯台は今日で150歳を迎えました。
横浜とともに、日本の開国を歩んで来た灯台なのです。(鎖国は、200年以上も続いているのですよ)
ひとたび外洋に出ると、月の光と、北極星を便り(たより)の航海となりますが、その長~い航海を終え港に入港するときに頼りにするのがこの「灯台」になのです。
船乗りたちにとって、海の漂いから解放されるその入口になるのが、見覚えのある「光の型」や「点滅時間」に「灯色」に安心感を得るのです。
「帰ってきたよ」と。。。。
観音埼灯台の位置するところは、全国の灯台の中でも特に町に近い灯台と言えるのですが、前は「浦賀水道」と言われる海域であり、東京湾の大動脈であり一日500隻の航行があるところで「灯台守」にとっては、心休まる所ではなかったと言われている灯台なのです。
「俺ら岬の灯台守は。。。」で、有名な(我ら同年代にとってはネ)「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台になっているのですが。。。
「二人でかざす一筋の光」この重み、この思い、この大切さを解りますか。
「福島県いわき市の塩屋崎灯台・・・」
田中きよさんが1056年(昭和31年)に出された手記があります。
「海を守る夫とともに二十年」を雑誌「婦人倶楽部」に寄稿
その時、夫の績(いさお)さんはここの塩屋崎灯台の灯台長だったのです。
・・・この手記を読んで感動した木下恵介が制作したのが、映画「喜びも悲しみも幾年月」だったのです。
どんな時にでも灯台をまもると言う「守灯精神」が灯台守の誇りであり、その絶やさぬ光が「人を安心させる光」となっていたのでしょう。
表だって見えぬ所に本当の「安心」があることが、よくわかります。
心から 「ありがとう」の五文字を送りたいと思います。
今では、衛生利用測位システム(GPS)、LEDライトなど最新技術が導入されて、人が楽になったと考えてイイのでしょうね。
灯台の必要性を感じなくならないように。。。。
人を安心させる光は消えません