人声久語(拾遺帖つづり)

世の中そんなに捨てたもんじゃないよ あんまり頑張らないで 捨てられるものは捨てて行きましょう

時の起点

時の起点

何年前になるだろうか
娘の舞台に行った後のこと

女性5人だけの休む間のない出ずっぱり1時間の喋り劇と言えるものであった

主題を私なりに考えて見ると「時」の始まりはどこなのか?と問うているように思えたのである


ある人から手紙が届く
その最後は「近々お邪魔します」で終わっていた

近々とは?
遠くない日、二三日から三四日だろうと。。。
それじゃ、今日が10月09日だから11日~13日だとあわて慌てふためく5人

見たこともない人に対してである

それぞれに、それぞれが、思い巡らし、

近々とは?
手紙が着いた時からなのか?
それとも
投函した時からなのか?

そして待つ内にもう来ているのではないかと思いだし、、、、
あれ?
いつから5人だっけ??

「最初にいたのは私よ」。。。となる


出会った時に戻ろうとする

今何時?
5時35分だよ……………………
今何時?
5時35分だよ……………………
何!同じ?
時計が止まっていたのである
ゼンマイを巻くのを忘れたのである

時のずれた時計など、時間の経過は分かるが、経過など必要はないであろう


「時の起点」
人それぞれにそれは存在するのである

生まれた日
これが誰しもが持つ最も基点となるのか

出会いの日
結婚した日
終焉の日。。。。

ふたりが始めた時の

時計をどの時間に合わせようか
それぞれ大切にしたい人と一緒に刻む時

もうすぐ新年を迎えようとしている
年が満ちて、新しい年がページを開く
どんな「時」を刻むのか

ましてや、この新年は新年代となる
「平成」は、突然やって来た
今回は、その時を、知らされているという
大きな違いがある

我々は時を止めることも、戻すこともできない
しかし、「時」をそのペースで刻んでゆくこともできないのであろうか

時代は決められるのであろうが、その時の経過までは決められない


新たな年に向けて、自分の時を刻んでみようとあらためて思った日であった


「時の起点」これは、それぞれに持っていていいのであろう

だから、私の「時の起点」なんだと。。