人声久語(拾遺帖つづり)

世の中そんなに捨てたもんじゃないよ あんまり頑張らないで 捨てられるものは捨てて行きましょう

アルフ ライラティン ワ ライラトゥン


f:id:tanokkyu:20181113083558j:image
(アルフ ライラティン ワ ライラトゥン)』「千の夜と一つの夜」


むかしむかし、ぺルシアに、「カシム」と「アリババ」という兄弟がいました。
 兄のカシムはたいそうお金持ちで、弟のアリババは貧乏(びんぼう)な木こりです。。。。

こんな、文章から始まる絵物語を覚えていますか。
こころワクワク、ドキドキしながら読んだ60年ほど前を思い出します。


盗賊40人を従え髭を生やした親分が洞窟の前で言います。

「ひらけ、ゴマ!」。。。

そうして、盗んだ金貨を盗賊にしまって洞窟を出た親分は、

「とじろ、ゴマ!」。。。

と、言うと、岩はスーと閉じました。

欲に満ちたカシムは殺され、盗賊団の宝を国中の貧しい民に分け与えたアリババの一族は繁栄したのでした。 

~ お わ り ~


「ひらけ、ゴマ」なんて口にしながら我らが盗賊達のアジトで遊んだ記憶がよみがえります。

アラビアンナイト千夜一夜物語)』の物語の一つなのです。

11月11日は、独身者の日だそうで、「アリババ」の文字がワクワクもせず目に入ってきました。

何だかなぁ~

愛媛県伊方原発の再稼働が認められたそうですね。
あの「広島、、、高裁」なんですよ。

国内最大級の活断層中央構造線(ちゅうおうこうぞうせん)の線上にあるのです。
最も危険な原発と言われているのです。

(wikiより転記)
1996年、高知大学などの研究グループによる、伊予灘海底にある中央構造線断層帯の調査によって、愛媛県伊方原子力発電所の間近の海底に活動度の高い活断層2本が発見された。ここでは約2000年おきにM7前後の地震が起きると考えられており、M7.6の規模の地震も起きる可能性がある。


知っていますか。
活火山の阿蘇山カルデラまでたったの130kmしか離れていません。
一度は、火砕流到達の可能性もあるしていたのに。。。
加えて、震源域の重なる目の前には、熊本、大分があるのです。
あの、2年前の記憶は何処へ。。。

福島の原発事故は何だったのでしょうか。

ドイツでは、メルケルさんが脱原発を宣言し、アメリカ西海岸は地震発生域であるとして原発は造られていない。
我が国は、一度差し止めたものを再稼働を認め、アジアの国には原発を輸出している。

原発事故に対する「リスク対策」を講じると「建設コスト」が見合わないのてす。
世界からは、最も危険な原発の国「ジャパン」とならないようにと思うばかりです。

少し暗くても、少し不便でも。。。。


壇蜜姫に、夜毎話を聞かせてもらいましょう。
「シェヘラザード」は、人の教訓が含まれた物語を聞かせ続け、シャーリアール王を改心させることに成功したのです。
それが、「千夜一夜物語」。
私の大好きな交響組曲『シェヘラザード』

ニコライ・アンドレイェヴィチ・リムスキー=コルサコフによる交響組曲

そうしよう
全部しまってしまえばいいんだネ。。。

「とじろ、ゴマ」っとね。

 

 

グノシェンヌ (知る)

グノシェンヌ(Gnossiennes)
「知る」というギリシア語です。
何だかとても、ひかれる「音」を持った言葉だと思いませんか。

ここまで、沢山の事を「知る」ことになりました。。。

良いこと、悪いこと、知りたくもないこと、そうして知り得て喜びとなった事など

音楽界の異端児、音楽界の変わり者などと称される「エリック・サティ

客の邪魔にならない演奏・家具のように存在している音楽という『家具の音楽』などと呼ばれていたのでした。

かの、ベートーベンやマーラー等の大作曲家の交響曲などは、その曲に引き込まれて知らぬ間にその舞台に上がって、指揮者のタクトが止まった時に現実に戻り、フーッと息をつく。

このような音楽作品のように、決して注意して聴かれることを目的とせず,日常的な周囲の音と混じり合って,その場の音の環境づくりに貢献するだけの音楽を「家具の音楽」と言われている。

フランスの作曲家エリック・サティが,1920年代に構想した音楽の題名であり,室内楽曲全3曲から成る「生活の中に溶け込む音楽」という思想から産み出される曲をそう呼びます。


「グノシエンヌ」は、第1番から第6番まであるのですが、第1番から第3番までを「3つのグノシエンヌ」とも言われて、とても心重く、暗い気分になりそうになるのですが、『家具の音楽』として気にせずに流してもおけるのです。

サティは、当時人気のキャバレー「シャ・ノワール」で影絵芝居のピアノ伴奏者として働き、その一方で作曲活動も行っていました。
サティが手がけた代表曲の1つ“ジムノペディ(第1~3番)" や "JE TE VEUX(邦題:あなたが欲しい)" などは聞いた事があるでしょう。

どこか物憂げ美しく、つかみどころのない旋律は耳に邪魔になることはなく、街角で知らぬ間に流されているのです。

こんなサティは、「モンマルトル」がとても似合うようです。
その時代のサティも交流していたと思われる、歓楽街のダンサーや舞踏会の様子がそんなサティの音楽から聴くことができそうです。

傍で流れていても邪魔にならず、知らぬ間にそれが周囲と混じり合う。

傍らに居ることに忘れるほどの存在感。。。

また、ひとつ目標としなければならないことを思い出しました。

今夜は、サティとともに

 

娘の芝居の帰り道に思う

風なんて。。。

ちょっぴり寂しくて 振り返っても

そこにはただ 風が吹いているだけ

人は人生につまづいて

人はただ振り返る。。。。

人はただ 恋をしたせつなさに

たえきれず ちょっぴり寂しくて

振り返っても。。。。

 

こんなセンチな気分にしてしまう秋の夜

そこにはただ 風が吹いているだけ


何気なく 思い出したよ


頬を優しく撫でてゆく その風に

そっと身体を任せてみれば

見覚えのある あの人の背中が其処に

風に舞う 色づいた木葉をふたりで見た

千鳥ヶ淵のあの時を

君の温かさをその手に感じた

あの風をもう一度と 振り返っても

そこにはただ風が吹いているだけ

都会の灯りが そう。。。

僕に 語った

 

カエルが鳴くから帰~えろ

ここは、武州の国。そう東京からもさほど遠いところではなく、前には大都会東京が、後ろには群馬の山々が連なる東西に細長く伸びーる「さきたまの国」それが、オラの生まれた所。


オラは、Q太。
この辺りは神の住む場所とも言われる場所でもあり先には、我ら心の支えでもある天皇陛下美智子さまが近くの神社を参ってくれたんだよ。
草の影からそっと見ていたオラ達の前をゆっくりと歩いて行かれて優しく微笑み手を振ってくれたんだよ。

この辺りは、近代日本を支えたセメントの原石山があり、石灰石の産地としても有名で秩父セメントなんて聞いた事があるだろう。(今は、大平洋セメント)


この辺りは、とても読めないような地名がいくつもあるんだよ。

大田道潅ゆかりの地「越生」や
髙麗
越辺
脚折
男衾、、、、
さて、何て読むか問題だ

オラが住む此処は、一級河川大谷木川の起点なんだよ。
利根川も、信濃川も、九頭竜川も起点はあるんだよ。
起点探しも面白い。

大河の一滴もここから始まる。。。

オラが毛呂山町山間部より、鎌北湖に集まった水が流れ出る所から始まっているのさ。(この先で高麗川に合流する小さな川だ)
 
鎌北湖は、春は桜並木、秋は紅葉、そうして一年中マス釣り場として、皆から親しまれている風光明媚なダム(ため池)なんだ。

こんな、緑に囲まれ、水に潤う場所がオラの住む場所さ。
最近は、地震や大雨が頻繁にありオラ達もヒヤヒヤさ。

そうしたら昨日、どこかで見たことがある奴がここへ来たんだよ。作業着に長靴はいて歩いていろいろ調べていたんだ。

現場の事より、トンボやカエル、蛇やバッタなんかを見つけたら、そればかり見てる奴さ。
ズイ道なんて入ったら、コウモリと遊んでるのさ。

「仕事しなくていいのか」って聞いてやったんだ。
そうしたら奴は言ったよ。
「Q太!違うよ。この場所の事を一番知ってる彼らに聞いてるのさ」って、オラの名前も知ってやがんだ。
「お前は何てーんだ?」
「おれかぁ。。。久さ」

んでさ、久が終わって帰るときに挨拶しようと道路渡って最後のピョンと後ろ脚をのばした。。。。


その時、坂をスピードを、出した自転車が降りてきたんだ。。。。

Q太!

一歩間にあわなかったんだ〰️

アマガエルのオラがホラ見ろ!

ヒキガエルに生ったさ^^

大丈夫。次の目標が出来たよ

「パラガエル」さ。

帰るとき 久が言ってた

「また、来るよと」

 

越生 (おごせ)
髙麗(こま)
越辺(おっぺ)
脚折(すねおり)
男衾(おぶすま) でした。
f:id:tanokkyu:20181107082102j:image
f:id:tanokkyu:20181107082112j:image

人を安心させる光に。。。

人を安心させる光に

今日から11月1日となり霜月に相応しい寒い朝となった。
今年も残りふた月、今紀も残り半年。

11月1日は「人を安心させる光」であることを知っていますか。

私達、侵略戦争後ひと桁生まれの世代にとっても、今の世の中の変化に戸惑うことも多く、便利さの優位性から周りから無くなり姿を変えたものも数多い。

かの「つけもののおもし くん」もそのひとり かもしれません。

今日11月1日は、「灯台記念日」なのです。
ペリーが浦賀、横浜に来航し開港されて158年、その折の欧米4カ国の条約で建設された灯台が、「観音埼灯台(横須賀市鴨居)」であり、その起工日が1968年11月1日なのだそうです。観音埼灯台は今日で150歳を迎えました。
横浜とともに、日本の開国を歩んで来た灯台なのです。(鎖国は、200年以上も続いているのですよ)

ひとたび外洋に出ると、月の光と、北極星を便り(たより)の航海となりますが、その長~い航海を終え港に入港するときに頼りにするのがこの「灯台」になのです。

船乗りたちにとって、海の漂いから解放されるその入口になるのが、見覚えのある「光の型」や「点滅時間」に「灯色」に安心感を得るのです。

「帰ってきたよ」と。。。。

観音埼灯台の位置するところは、全国の灯台の中でも特に町に近い灯台と言えるのですが、前は「浦賀水道」と言われる海域であり、東京湾の大動脈であり一日500隻の航行があるところで「灯台守」にとっては、心休まる所ではなかったと言われている灯台なのです。

「俺ら岬の灯台守は。。。」で、有名な(我ら同年代にとってはネ)「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台になっているのですが。。。

「二人でかざす一筋の光」この重み、この思い、この大切さを解りますか。

福島県いわき市の塩屋崎灯台・・・」
田中きよさんが1056年(昭和31年)に出された手記があります。

「海を守る夫とともに二十年」を雑誌「婦人倶楽部」に寄稿
その時、夫の績(いさお)さんはここの塩屋崎灯台灯台長だったのです。

・・・この手記を読んで感動した木下恵介が制作したのが、映画「喜びも悲しみも幾年月」だったのです。

どんな時にでも灯台をまもると言う「守灯精神」が灯台守の誇りであり、その絶やさぬ光が「人を安心させる光」となっていたのでしょう。

表だって見えぬ所に本当の「安心」があることが、よくわかります。

心から 「ありがとう」の五文字を送りたいと思います。

今では、衛生利用測位システム(GPS)、LEDライトなど最新技術が導入されて、人が楽になったと考えてイイのでしょうね。

灯台の必要性を感じなくならないように。。。。

人を安心させる光は消えません

聞かせてよアントニン

聞こえてきたよ アントニン

 

農村を歩いている
今年も稲穂が波打つ季節も終わり
刈り取られた稲穂が並ぶ稲木たち
そんな田んぼに静かな風が吹き抜けていた
真っ赤な夕日が山に沈もうとしている
帰りを急ごう夕まぐれ
向こうに見えるは 夕煙。。。。

こんな時、耳に聞こえてくるのは
とても低く穏やかな伸びのあるあの音
聞き覚えの良いあのフレーズ
耳馴染む あのメロディ

アントニン・ドヴォルザーク交響曲第9番新世界より」第2楽章

そう「家路」として私たちのよく知るあのフレーズ

オーケストラの最初の音出しをする
あの「オーボエ」だと思ってしまいます。

然に非ず(さにあらず)、この旋律を吹いているのが「イングリッシュホルン」という木管楽器オーボエの仲間の楽器なのです。


遠き山に 日は落ちて
星は空を ちりばめぬ
今日の業(わざ)を なし終えて
心軽く 安らえば
風は涼し この夕べ
いざや 楽し まどいせん
まどいせん


ドヴォルザーク交響曲第9番新世界より」第2楽章のメロディに基づいて作詞家堀内敬三さんが日本語の歌詞をつけたものがこの「家路」です。


一日の仕事を終え、心落ち着き
ようようと家路を急ぐ
家に帰り皆の顔を見て
ほっとするひとときを思いながら。。。


「まどいせん(円居せん)」とは、「皆で丸く集まってくつろごう」という意味なんですよ。

これからの残りの人生、こんなとときを過ごせますようにそれぞれの「家路」を
ゆっくりと急ぎましょうか。。

聞かせてよアントニン

貴女と和む。。。まどいせん

~埼玉県 深谷にて~

 

 

 

つけものの おもし くんへ

つけものの おもし


  つけものの おもしは
   あれは なに してるんだ

  あそんでいるようで
   はたらいているようで

  おこっているようで
   わらっているようで

  すわっているようで
   ねころんでいるようで

  ねぼけているようで
   りきんでいるようで

  こっちむきのようで
   あっちむきのようで

  おじいのようで
   おばあのようで

  つけものの おもしは
   あれは なんだ


あそんでいるようで。。。
はたらいているようで。。。

なんと ゆかいな くだりなのでしょう

ことばが もじが わらっているのが みえませんか

けさのしんぶんにみつけました
ひさしぶりに たのしそうな かれらの こえを


世の中 どうでしょうか
これでもかと自分を叫び、いかにも人の為にやっているのだと主張し、目線を下げることのない者
言ったが勝ち、自分が正義だと、心から頭を垂れる事を知らぬ者


あっち向いて ホイッ
こっち向いて ホイッ
付いて来れなきゃ
置いて行け!

何だか寂しくなりますよネ


あの なにもしていないと おもっていた

おおきないしさん には

ちゃんと なまえがあったんだね

つけもののおもし くんかぁ

きみはいつも もんくもいわずにはたらいちいたんだね

ありがとう いつも そうおもっていたよ

これからは ともだちだネ


ぞうさん や 一年生になったらで知られる「まど みちお」さんの詩です。
2014年に亡くなられています。

つけもののおもし くんに おしえてもらいました


ふと日常の風景を眺め

ひとときの時間の流れにまかせて

目をとめてみませんか

その留まった時景が

知らぬ間に少しづつ見えてくる

止まっていたものが心の中で動き出す

その瞬間(とき)に

静かにそよぐ季節の風

その音に聞き入りたい


まどさんは きっといいます

よのなか そんなにすてたもんじゃないさ

さぁ もうすこし がんばりましょうか