日本教とは嘆かわしい
私も、1964年の事は鮮明にスポーツの素晴らしい意義を理解していると共に、幸せな思い出として記憶しています。
それを、こんな所で思い出を話したことにな何故と思うことに、「感動しなかったのか?」「呆れる」と言うような批判の方が悲しくなる。
今、ここで、それを作れないと一生感動はないのでしょうか?
「我々はスポーツの持つ力を信じてやって来た。全く別の地平から見てきた言葉をそのまま言っても通じない」
そうなんだ。
分科会は別の地平にいたんだ。
スポーツの持つ力を我々は幾度も見てきたのですよ。○様、、、
理解を得るような対応もせず、アスリートのみなさんの健康は組織委員会が必ず守り抜きます。
五輪は「科学ではなく信念」
そうです Nippon Syukyou となりました
安菅教に、、、、嘆かわしい限りですね