人声久語(拾遺帖つづり)

世の中そんなに捨てたもんじゃないよ あんまり頑張らないで 捨てられるものは捨てて行きましょう

お蜜さん~

 

昨夜「牡丹燈籠」思い出してくれましたね。

牡丹柄の提灯持った幽霊、それも下女との二人連れ。

幽霊が灯りを点けてくるのも御嗜好ならと嬉しくもなる。

夜に響く「カラーン、コローン、カラーン、コローン」という駒下駄の音?

そう幽霊に足があるのでした。

この後、牡丹灯籠は「栗橋宿」と、話は続いて行きます。

下男の伴蔵(ともぞう)、お峰夫婦は大金をせしめ、栗橋に引き払う。
その金で荒物屋「関口屋」を始めて成功し、大旦那と奥様となった。
金が出来ると浅はかなのは人間である。
伴蔵は茶屋遊びに出て夜ごと楽しんでいたが、そのことが女房お峰に分かり、夫婦げんかになってしまうた。
お峰は、大きな声で「仏像を盗んだのはお前で、その時の金,百両を出せば別れてやる」と騒ぎ立てた。
伴蔵は高飛車に出ていたが幽霊の一件になると困ってしまう。
平身低頭、やり直そうではないかと提案する。
翌日、隣町幸手の祭りを見た帰り、利根川土手に、二人は連れだって出掛けたが、伴蔵の悪巧みで女房・お峰は亭主に殺されてしまう。

これが「お峰殺し」となるのである。

こう見るとどうであろう?

謀られた新三郎いや久三郎とお蜜であるが、元々相成るような仲のふたり。

その頃はあの世で、仲睦まじく、下女お米と伴に夕げを食しているやも知れず。

ウッフン
エッヘン
アッハン.....等とな。


しかし、私のお露と言えばご存知佳那晃子です。

確か年の頃なら私より2つ下、亭主の作った借金4億を返済したら、何とかと言う難病にかかり、長い長い闘病生活。
今年、舞台独り語りに復帰されたようです。
サスペンスやジュリーの天草四郎での細川ガラシャなど、独特な世界を持った美人でした。

最近は、床につきっぱなしだそうですが。

意思ある中に夢捨てず
人の言葉に惑わず
あるがままを生きる

そんな感じのする「お露」さんでした。

朝露に光ながら水滴が緑の葉っぱに乗っています

ふたつの水滴が.....落っこちぬように、くっついて

お蜜~もっと此方来ないと落っこちるよ
気をつけなと。。。。

久三郎とお壇蜜は仲睦まじく、ひとつのちゃぶ台を囲んでいました

お蜜~ 久三郎さま~

久三郎様ぁ〰️

久三郎様ぁ〰️

夜になっても、一向に暑さが収まるではなく、蒸し蒸しとじわりじわりと汗が身体に巻き付くような今夜.....

月夜に照らされた先には蛾の群れが飛び交い、中の一匹は蜘蛛の巣にかかり、もがくほどに蛾を身動きがとれない状態にし、蜘蛛の餌食になるのを待つしかない光景を目にしている。

遥かに駒下駄の高く響く音が聞こえてきた。

「カランコローン!カランコローン.....」

その音から、いかにも育ちの良さそうな若い娘と、それに付き従う下女であろう低い下駄音が交互に重なり、次第に大きくこだまして来るのである。

首筋から生ぬるい汗が流れていった.....

トントン、トントン

久三郎様、久三郎さま、ここを開けて下さいませ
久三郎様.....

下駄の音が戸口の前で止まったかと思った矢先の女御の懇願するような甘い声が聞こえている。

久三郎様、久三郎さま、久さま

「お蜜」でございます。
あの折りに約束を交わした「お蜜」でございます

あの折りとは、考える久三郎であった

戸の隙間から覗きこむ久三郎の目に飛び込んで来たのは、春の花見の宴で出会い、引かれ合いながらも別れたあの美しい娘「お蜜」であった

これより先は、皆さんよくご存知の結末と相成る次第です。

夏になると必ずやテレビ、映画、舞台で演じられた「怪談話」
今、お目にかかるのが珍しいくらいに下火になりました。
寂しい限りです。

最後は必ずや悪退治して、怨念を晴らしてくれる。
怖いながらの「勧善懲悪」なんですよ。

我々、日本人が必ずや待っている「人情話」。

デジタルではだめでしょう
そこに至るまでの紆余曲折、裏切り、悲話

そうして、必ず「美男美女」に悪巧みを働く関わり者が登場してきます。

私は、この「牡丹灯籠」が大好きです。(最近は歌丸師匠もよくやりました)

お露を演じる女優がみな美人なんですね。
もうたまりません.....
キャ~ミソール〜 っは透ける白!


怖いけれど恐ろしくない、何故って?

愛があるからなのですね。

旗本の娘「お露」と下女お米
そうして橋本新三郎
新三郎の世話をする下働き夫婦「半造とお峰」

こんな登場人物達の人情を怪談話き仕上げた、三遊亭円朝の創作噺「牡丹灯籠」

牡丹の絵柄が付いた提灯を下げて、駒下駄の高く響く音がこだまする

そうして、一番浅はかなのは、半造とお峰夫婦

二人は悲惨な最後を迎えることになります

「人のエゴと欲」

これが一番恐い「怪談話」のようです

栗橋宿のお峰殺し、、、、
最後は仇討ちで終わる長〰️い話なのですが。

おぉ壇蜜 蜜!

久三郎さま〜

~つづく~

アルデンテ

スパゲティの理想の茹で加減は「アルデンテ(イタリア語:al dente)」と言う。

「アルデンテ」とは「歯に」ということである。

つまり、スパゲティを茹でながら、茹で加減を見るために一本取り出して、前歯で噛む。

この、抵抗感のある感覚これが「アルデンテ」。

日本語にもっとも近い表現は「コシがある」というのがふさわしいのか。
アルデンテは歯ごたえが残る程度に茹でた状態であり、コシとは別物であり、イタリア語には(欧米語のほとんどには)「コシ」という意味の言葉はないのだそうだ。

この「コシ」は「腰」でも表すようだ。
「からだの要(かなめ)」で「腰」、人間にとって大切な部位であることが良くわかる。

腰砕けにならぬよう、腰に重心をおいて、四股を踏むようにしよう。

我!日本男子 腰が命の要!

私にも、「アルデンテ」くらいの抵抗感は残っているのか。。

「アルデンテ」....

そんなの何処に有るでんて!!なぁんてね

やさしい おとこ達

 

女は男に対し、「やさしいだけではねぇー」とよく言う。

しかし、理想の男性の条件には必ず「やさしい人」は入っている。

「やさしい」とは、それだけでは「つまらない」との意が含まれるのだろう。

「やさしさ」にも、ランクがあるのが解らぬのか?

好きでないものには、心から「やさしく」は出来ぬ。

そういう「やさしさ」は最初から、限りを考えた「やさしさ」であるのに...

考えろ!
見極めろ!
自分もやさしくできるのか!

だから、「やさしさ」が返ってくるのだろうけど。

また、優しさを易しいと思い違いしてしまう

やさしさは、自分から、そして相手から。


優しさは、「人の憂い」が優しさとなります。

だから、ひらがなで書こうと思いませんか。

本当のやさしさをを言葉だけにしている人が多いなぁ。

心から優しさを感じたときに「優しい」にしよう。


若かりし頃、こんな事を言ってくれた人がいた。


「優しさ」

これほど漠然とした言葉もない気がします。
枠も意味も広すぎて とらえどころがない。
だからわたしは あんまり使わないです。
警戒しすぎて 意地悪になっちゃったりもします。
たいして仲良くもない人に 便利に褒められたりするとき。

「○○ちゃんはほら、優しいからぁ」
「どんなところがですか?」
「・・・・・」

優しくすると自分が気持ちいいんだよ。
優しくしたい人に優しくするのは そう考えるとアタリマエでしょう?
もっといえば 自分の喜びのためでもあるよね。

悩みがあって話したかったのに ずーっと会ってくれなくて
自分でなんとか乗り越えて心がへとへとになったとき

突然現れて、

「君にプレゼントしたくて ずっとバイトしてたんだ」
って、キラキラしたもの渡されても・・・。

そこで彼に心からお礼をいえるなら 女の方が優しい。

で、彼女の顔を見て慌てて反省するなら 男も優しい。

 

でも、反省しても遅いことに男は気づかない。。。。。。

その時やさしい男たちが、優しさの本当の意味を理解するのだろうか。。。。

拾遺帖とはなんですか

此処は、拾遺する処

 

人に言えぬつまらぬ事を捨てて行くところを探しています

捨てる一方だったけれど そろそろ拾おうかと思っています

思い、重荷、想い出いらないもの捨てましょう

その思い、此処を訪れる誰か拾って行きますから....

 

時間は逃げないから、ゆっくりでいいんだよね

気の利いた言葉、洒落た言葉などはいりませんよ

今自分が感じたこと、捨てたい事をしゃべってみましょうよ

その思い、此処を訪れる誰か拾って行きますから....

みんな仲間ですから

それを遺す処、「拾遺帖」です

 

悲しい同級生vsスーパーボランティア

 

ここ2年ほど前まで、震災対策で楢葉町へ通っていた。 楢葉町は、双葉町の南、広野町の北にあり福島県でも南に位置する。この二年前からは、全町民の帰還が開始されているが。。。。
常磐道も全線が開通し、東西南北交通も路線も確保できたのではあるが。。。朝夕の道路渋滞の状況からも解るのだが、こちらの人の数を増やしているのは、私を含めた復興作業員と公務員の面々である。
二年前は、現場へ向かう朝と帰宿する夕方は渋滞が何キロも続くのである。
今でも、双葉郡の各町の国道では、バイクは通行できないはずである。
この作業の最後に見た子供の姿が嬉しくて泪がでたのを思い出す。

定年後の地元町民に帰って来られますか?と聞いてみた。私らの故郷だよ、生まれた場所さ、でも、、、
生活基盤が整備されていない場所には、とても帰れないよ。ましてや、若い人達は、仕事も出来るような経済、社会基盤が無い以上帰ってくるはずはないだろう!

違うかな水谷さん!と言われた。

当初は、私も福島の復興に少しでも役に立てればとの気負った思いもあったは事実。
勢い込んだ。
しかし、皆の税金を掛けて復興整備することの相容れない色々な情況に胸が痛み、情けなくなる始末なのである。
それで、支援業務への参加はやめた。。。

  かの「78歳スーパーボランティア尾畠春夫さん」のような、奉仕を出来るくらいの会社であれば良かったのだけれど。

福島は、原発事故が他県と大きく異なる要件なのである。原発特需で町が潤っていたことも隠すことの出来ない事実なのである。

考えてみよう。

これ、父の意見ではなく母の想いで物事を決めていたら結果は同じであろうか。
我が国も少しは変わっていたのではないだろうか。

ヒロシマナガサキを被害者としての意識から歩みを始めているはずなのに、もっと身をもって考えれば良かった。

原発いりますか?

ヒロシマナガサキを被害者としての意識から歩みを進めているから、侵略した東アジアの国々への心からの謝罪を行えないでいるのではないか。

間違いをおかしましたと。。。

子供、孫達へ安心でき、優しい国で手渡してやりたいと思うのである。
今、色々な社会情況にあり、危うい政治体勢であると言えないだろうか。。。。

「抑止の為の抑止力」要りますか?

一番に痛みの解るのは、今のところ日本人だけなのです。

今のうちに。。。。。。

頼むよ。同級生のシンゾウ君。

「君では、無理なんだねって」言われてるよ。

盆帰り一景

今日の駅の風情は、例年のごとく一景にそまる。

ターミナルを行き交う人々の老若男女たちの手には、紙袋を提げている。

中身は、「盆やすみ」での土産達である。

日本全国の銘品と称される、色とりどりの土産店名入り紙袋が行き交うのである。

「君は何処だい?僕は松阪の老伴(おいのとも)だ。やっぱり赤福は1番、ちょっと重いけどね。」
「僕は、長崎のしまつばき。最中だよ。」
「あそこにいるのは、徳島の鳴門金時のスウィートポテトちゃんだ。とても柔らかい甘さなんだよ。」
「私は、越中富山の杢目羊羹(もくめようかん)よ。」
「どんな所へ行くのかしら?」
「喜んで貰えれば、遠くから来たかいもあるってもんだよ」
「それじゃ、皆なまた来年会えればいいなぁ」
「はぁーい」

雑踏の中で、こんな声が聞こえてくる「朝の風景」であった。

お気づきでしょうか?
みんな甘味菓子たちです。
どうも、こうゆう時の土産は煎餅たちは敬遠されるのか?
「久さん」が甘党であるからかは不明ですが。

この風景は、日本特有のものなのでしょうね。

休むことに対し引け目を感じる日本人と「遊ぶ」ために働く西洋人の考え方の大きな違いなのでしょう。

「心ゆかしき日本人に幸多かれ」

皆さんのお土産はどんな風景なのでしょうか?

ymiz^^