人声久語(拾遺帖つづり)

世の中そんなに捨てたもんじゃないよ あんまり頑張らないで 捨てられるものは捨てて行きましょう

哀愁 (WATERLOO BRIDGE )

こんな季節になると、また逢いたくなる映画がありませんか。

 

ヴィヴィアン・リーロバート・テイラーの「哀愁」です。
屈指の恋愛映画と呼ばれ続けている名作のひとつであり、ロンドンの「ウォタルウ橋」から物語がはじまる。

思い出のお守りを握りしめ「若かりし頃を思い出す・・・」とひとりつぶやく。

二人が初めて会ったのは、このウォータールー橋・・・。

舞台は、第一次大戦中のイギリス・ロンドン。青年将校のロイとバレエの踊り子のマイラのふたり・・・。
空襲警報が鳴り、橋の上で、バッグを落とし、道路に転がったお守りを車に轢かれそうになりながらも拾うマイラを助け、一緒に避難する。

これがふたりの初めての出会いであった。

翌日には結婚の約束をするほどに、その恋は燃え上がるが、その夜ロイは突然の召集で戦場へと向かうことになる。駅に駆けつけ見送るマイラ・・・・。

マイラは「戦地に向かう」と言うロイに、もう二度とめぐり会えない人なのだという気持ちで切なくなる。
別れ際に大切にしていたあのお守りを、ロイの無事を祈って渡すのである。
 
マイラ・・・「これを」
 ロイ・・・「お守りを?」
 マイラ・・・「あなたを守ってくれるように」
 ロイ・・・「大事なものだ もらえない」
 マイラ・・・「いいの 私は頼り過ぎ」
 ロイ・・・「ありがとう」
 マイラ・・・「さようなら」
 ロイ・・・「さようなら」

ロイの無事を祈り帰りを待っていたマイラだったが・・・・。
新聞の戦死者の欄でR・クローニンの名が・・・・。
ロイが死んだものと思い、ウォータールー橋に行った彼女は、「散歩でも・・・?」と声をかけられ、そのまま一緒に・・・。
バレエ団を解雇されたマイラと友人のキティは、生活の貧しさとロイの戦死の絶望感から、娼婦に身を落としてしまう。

そしてある日、いつものように客を探しに駅で目にした光景は、何と戦死した筈のロイの姿だった。偶然の再会を喜ぶロイ。
ロイは結婚しようと、マイラを故郷スコットランドへ連れて行くが、いまの自分の汚れた体にいたたまれなくなって、ロイの母親に過去を話してしまう。
まだ、何も知らないロイは、マイラから預かっていたお守りを彼女に返すが、マイラは、手紙を残して早朝ロンドンへ帰っていく・・・。
ロイはマイラのあとを追ってロンドンに来るが・・・

そして思い詰めたマイラは、霧深いウォータールー橋で通り過ぎる軍用トラックに身を投げて自ら車に飛び込む・・・・

そばに転がるあのお守り・・・・・。


初老になったロイは、お守りを握りしめ、ウォータールー橋にたつ・・・。
その時、マイラの「愛していたのはあなただけよ。これからもずっと、本当よ。いつまでも・・・。」の声が・・・。(照会文より)

なんて切ない物語なんでしょうか。

クラブで蛍の光が演奏され、ヴィヴィアン・リーロバート・テイラーが曲に合わせて踊り、キャンドルが1つずつ消されていく場面は、お見逃しなきように。


全編「ウォータールー橋」が舞台となります。
当時は9径間石造りアーチ橋として建設されたが、1942年に現在の5径間コンクリート橋に架け替えられた。

映画の中で、ふたりの最初のデートのダンス・シーンで流れる「別れのワルツ」・・・・・。
日本では、「蛍の光」ですよね。
所々に流れるのが「白鳥の湖」。

日本の『君の名は』(岸惠子佐田啓二主演)は、この映画の「ウォータールー橋」を「数奇屋橋」に置き換え(内容は大きく異なるが)、製作されたリメイク版であるようです。


映画の印象が強く、霧と蒸気に煙るウォータールー橋とウォータールー駅を想像したのですが.....

やはり、映画の夢の世界でした。

やはり、イギリスです。一緒に行きましょう!!!!

 

くノ一

粋(いき)、いなせ、伊達(だて)。。。

「色」の道において最も理想的なものと考えた美意識を言うのだそうな。
何と一番に心しなければならない自意識といえる。
鯔背な姐さん鉄火肌


粋(すい)な奴、生粋(きっすい)に例えられる「純」。
それにひきかえ無粋(ぶすい)者とは、一番に敬遠しておかなければならない行動なのである。

通(つう)は、どうなんだい。。。

本来,「人情の機微に通じる」という意味のようであるが,ことに遊里の遊びに用いられ,遊び方の万般に通じていることを「通」いうらしい。
となると、これも自意識における美学となるのである。

はてさて、そうなると。。。。

私は誰ぁれ?
ここは、何処っ?

なんてその場を濁す輩がスキップを始めることになるのだが。
それは、周りを取り巻く「くノ一」色に対しての恐れが、、畏れが、、怖れが、、、
それを招くのである。

この弱身、この強がり、この見栄っ張り、、、男しかわからん所存。

「くノ一」を組み立てれば「女」に成ることは、これ、明白であり、匂いあり。

我、男となると、この「色香」に、
クラッ クラッ クラッ と千鳥足になること仕方なき現実である。

さて、ここまで何を目指してきたのか。。

「粋」な「通」の「おとこ」を目指していたはずなのだが、はてさて、難しい事に嵌まってしまったようだ。

台風一過。。。。

 

 

あぁ愛しのコロラトゥーラ

あぁ愛しのコロラトゥーラ
(coloratura)

あぁ。。この朝もやに煙る静寂のなか、深い緑の囁きを伝わるように響き、惑わし、愛でる、その声。。。。


ドナウ川のほとりにたってポプラにもたれる
ここは風もとてもゆっくりと流れているのが聴こえるのです

この街

ウィーンは人も街の流れもとてものんびりです

「Schau ma mal (様子みてみよう~) 」というのはウィーン人の口癖で、ふんわり白黒はっきりさせないのも、とてもウィーン風

こんな空気の中で、多くの音楽家を育て、国が亡くなる経験を持ちながらも、こんな楓(かぜ)を感じさせるのは何故なのか

速いフレーズの中に装飾を施し、華やかにしている音節のことをいう「コロラトゥーラ」なのですが、

そのコロラトゥーラの中でも特に高い音域が出せるハイ・コロラトゥーラなのだそうです。

女声の声種はソプラノ、メゾソプラノ、アルトの3種類の中でもソプラノの上をハイ コロラトゥーラ

 

ソプラノの役柄でいうと、

モーツァルトの歌劇『魔笛』における第2幕の「夜の女王(ソプラノ)」によるアリア

ロッシーニの「セビリアの理髪師」に出てくるロジー

ドニゼッティなら「ランメルモールのルチア」のルチア

などが代表格と言われます。


「復讐の炎は地獄のように我が心に燃え」がある。


欧州ならではの愛憎、心の叫びには、このコロラトゥーラでないと響かないのでしょうか。

そうしてこの役には、日本が生んだハイコロラトゥーラ姫「田中彩子

歌姫が、ステージにあがった瞬間から我々聴衆はこのハイトーンから逃れられない。

歌姫が醸し出す豪華絢爛、妖艶優美な世界に引き釣り込まれ、知らぬ間に魂を奪い取られる。
ハイコロラトゥーラの声艶の最後の一息が終わるまで。。。。。。

目と耳、ハートで確認してください。

そんな歌姫は、ウィーンが良く似合う。

Schau ma mal

あぁ愛しのコロラトゥーラ。。。

 

我が愛しいのコロラトゥーラ

今夜から開催される世界バレー2018のオープニングを「あぁ愛しのコロラトゥーラ 彩子姫」が飾ります。

国歌独唱 パチパチパチパチ ご静粛に

29日夜19:00からTBS系列で生中継です。

「天使の歌声」ソプラノ歌手 田中彩子

心を込めて歌います

本当は紹介したくないのですが。。。

ぜひご覧ください。 各地でコンサートも始まります。 へッへ

。。。らしく。。。ぶらない

「らしく、ぶらない」

自分を正直に表すのって、簡単なようで、とても、とっても、難しい。
だって、素直に、真にさらけ出すとなると、気力と勇気が必要となることが多いのも事実だろう。

しかし、「ぶれない心」を常に持つことができていれば、相手には正しく「、、、らしく」映り、通じている。

先日は、和のオペラと言われる 能「敦盛」を昼間に、夜は音色の違った集まりをひとつにまとめた絵画とする日本フィルによるムソルグスキーの「展覧会の絵」を観劇したのです。

「敦盛」は、ご存知の通り平家の美少年の横笛「小枝」上手の武将で一ノ谷合戦で討ち死することは有名です。(安徳天皇建礼門院らと入水もありますが)
この、敦盛を討ち取るのが、かの「熊谷次郎直実」坂東武者の誉れと称される武人です。(埼玉の方で知らない人はいないでしょうね。)
これは、勝負にはなりません。熊と羊のようです。
源氏に追い詰められ、舟で逃げる平氏の中にあって逃げ遅れたものなのか、馬で沖に向かっていた敦盛をみつけたのです。

「敵に背を向けるのは卑怯であろう。お戻りなされ」

弱冠16歳の若武者、敦盛も堂々と戦ったのですが組み伏せられたのです。
直実は首を取ろうと、武者の顔を見ると薄化粧をした美しい顔立ちの少年てはありませんか。我、息子直家も同じ16歳で、憐れに思い逃そうとするのですが、他の源氏の武者が迫っており、とうてい逃れることはできまいと泣く泣く敦盛を討ち取ったのでした。
その後、直実は武家の無情を悟り、後に出家して高野山に登り、「蓮生」と名乗ったのでした。

ここから、「敦盛」の能世界になるのです。
敦盛の菩提を弔うために一の谷を訪れた蓮生が回想にふけっていると、笛の音が聴こえ草刈男たちが現れます。蓮生が、話しかけると、中のひとりが笛にまつわる話をします。。。。。

蓮生は経をあげ、敦盛を弔うのでした。

その姿に敦盛は、蓮生に対し喜び、平氏最期を迎える前夜の陣内での酒宴のさまを想起して舞を舞います。

法の友である蓮生に回向を頼んで去っていきます。。。。

世阿弥の能では心の葛藤は一切ふれず、むしろ敵同士だった二人が仏縁によって真の友となるという、熊谷の心情に「無常」を敦盛に「懺悔」を語っているように思います。

直実、敦盛、ともに最期は心を交わし、自分らしく、ぶらない姿を示してくれました。

機会あれば、観覧くださいな。。。

初心(ういごころ)

「初心」には、三つの時期を忘れてはならないとあります。

、『ぜひ初心忘るべからず』
、『時々の初心忘るべからず』
、『老後の初心忘るべからず』」

「初心忘るべからず」とは、よく目にする言葉です。
今では、「初めの志を忘れてはならない」と言う意味で使われています。

これは、「能」の創始者世阿弥が芸事の修養のなかで説いていることなのです。

世阿弥にとっての「初心」とは、新しい事態に直面した時の対処方法のことで、試練を乗り越えていく考え方を意味しているのだそうです。
そこで、「人生の三路」においての心構えを「初心」を持って教えています。

「ぜひ初心忘るべからず」
若い時に失敗や苦労した結果、身につけた芸を、常に忘れてはならない。---基礎

「時々の初心忘るべからず」
歳とともに、その時々に積み重ねていくものを、「時々の初心」という。
若い頃から、最盛期を経て、老年に至るまで、その時々にあった演じ方をすることが大切だ。--- 経験

「老後の初心忘るべからず」
老齢期には老齢期にあった芸風を身につけることが「老後の初心」である。
老後になっても、初めて遭遇し、対応しなければならない試練がある。歳をとったからといって、「もういい」ということでは
い。---継続

どうでしょうか。。。

まずそれには「基礎」があって、それに「経験」が積み重ねられ、諦めることなく
それを「継続」してゆくことが大切なんだよと言われていると思えるのです。

「それ」は、人それぞれ、人つれづれ、なんでしょうネ。
「芸」をあなたは、何に置き換えてみますか。


我、関するものすべて人生
、それ人と成りうる「人成」也 (久作)


日本の「能」は、クラシックの「オペラ」に当たります。
その歴史は、世阿弥から始まり、クラシックより200年も前に世に出ているのです。

和文化とは、とても素晴らしいものなのです。凄いものなのです。守って行かないとならないものなのです。


謡、笛、鼓、そうして、舞。。。

自然の中に響く「声」
静寂の中、繰り広げられる「人生の流れ」
これが、「能」なのでしょうか。

一度、機会あればご一緒に。。。。

ところで私、久は、この夏に「小鼓」を演ずる機会を得ました。
ほんのひとときの習いでしたが、和文化に触れ、人に触れ、息を感じることが出来ました。
この、10月から小鼓の稽古を始めることにしました。


初心を忘れずに。。。。

 

 

 

 

 

快憲は改感

 

鼻から息を抜きながら嘲笑い、柔な左手拳を振りながら、文脈定まらぬ能弁を連ねる

これ誰あろう我同級生シンゾウ君である

東京オリンピックでどうしてもなりたいことがあるのだろう
それは、日本が生んだ平和のトレジャー (Treasure)である「ドラえもん」「アンパンマン」。。になりたいというのか

大義」と「建前」と「本音」

大義」とは、正当性を主張する、しうる事のできる意味付け。
これには、強力な力がそのパワーとなる。
そうして、「大義」と「本音」が一致してこそ成し遂げられるのであろう。

この力が個であった所から始まった「ガンジー」や「マザーテレサ」などは、それを支持する民衆のパワーが後押しし成し遂げられた対極の例であろう。

「建前」とは、個人の意識の内にある感情や欲求の基、価値観に照らして心に抱かれるものであり、それが共有できたところで集団が形成される。
個人的には、「本音」とこの「建前」は同じものであるはずなのだが、対外的に考えたとき、集団としての統一を図るとき、ある利益を考えるときなどに往々にして「本音」と「建前」が違うことがある。
私なども、人間などは、異にすることの方が多いのだろう。

しかし、ここは「大いに大切に」考える事が必要なのである。
個人が集まり仲間ができ、個人が家族を作り、国を成す。

この国の有り様を定めようとする集団の方向性、それを率いる個人及び周りを固める人材達よ。
個人の「本音」の為に「大義」を作り、「建前」を正当化する場合など。


「お父さん? お父さんのやっている仕事はダメな事なの?憲法違反なの?」って、子供に聞かれたと言う。

「何だか、隣の北朝鮮が少しずつ変わって来ているように思えるのだけど。。。戦力不保持を憲法にうたっているのに、こんなにお金を使っていいの?もっと、違うところへ使えばイイのに」って子供に聞かれたお父さんの方が多くないのかな。。。

自存自衛のための積極的防衛策などやめないかい!。。。

基本的な人間性をみんなに説明しなければダメでしょ

落選すれば 先生でなくなり タダの人


アホかぁ!