人声久語(拾遺帖つづり)

世の中そんなに捨てたもんじゃないよ あんまり頑張らないで 捨てられるものは捨てて行きましょう

感覚の違い。。。中庸とは

感覚の違いなのか

音楽、絵画、映画等々
人の感性、趣味嗜好の違いによる好き嫌いがハッキリと分かれるものがある。
これも、「0か100」ではなく、「49かなぁ51だなぁ」と際立つ違いの無いときもある。

「Go!いち主義」を知っているかと。
迷った時には、51と思われる方を選べと若いときに言われたものだ。

今、この歳になり思うと、これもひとつの「中庸」と言える考え方なのかと。
私も含め年長者は自分の経験を自信として「相容れないような差」を当たり前と捉えているのだろう。
これが、「時代遅れの頑固さ」になり、それを受け入れる事を拒む。
特に、「馬鹿な男たち」はこの傾向が堅固に現れる。
「頑固親父」とは言うが「頑固おっ母ぁ」とは言わない。。。。

少し前の紙面のトップ?に「春樹文庫」を母校に開設の話題を見つける。
話題かぁ~
ノーベル賞の季節になると、今年は受賞なるか!などとマスコミがはやし立てる。

アホかぁ!!!!!

頑固なままに春樹文学を感ずる事が出来ないでいる。
とは言うものの、ここだけの話「風の歌を聞け」「ノルウェーの森」「1Q89(4)」や短編集を読んだことはあるのだが、、、、


「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」
こんな諳(そら)じられるような、こころワクワクするような感覚はないのである。
。。。。川端康成『雪国』

過去を捨てに、、新しい道を求めて、、どちらだろう、、、、


小説の冒頭の出だしがとっても気にかかり、これにひかれる事ってあるでしょ。

本当にノーベル文学賞を取らそうと頑張っているのであろうか。


「私は自分が生まれたときの光景を見たことがある」
。。。。三島由紀夫の『仮面の告白

“I am born.”と現在形で表されるのか
“I was born.”と過去形で表されるのか
とても、興味を惹かれるでしょう


『トム!』 返事がない
『トム!』 返事がない。 
。。。。マーク・トウェイントム・ソーヤの冒険
トム!トム! 何処へいったんだ?なんてドキドキしちゃう


「目がさめるとベッドの上で大きな毒虫になっていた」
。。。。カフカの『変身』
へっ?私はだぁーれ?どうしょう???
この目覚めることから始まる小説は数が多くあると言われますが。


そして、村上春樹である
「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」
。。。。デビュー作『風の歌を聴け』の有名な冒頭ですよね
"無邪気な興味" をひかないんだなぁ〰️

さいごに、「私の愛読書」

それらの夏の日々、一面に薄すすきの生い茂った草原の中で、お前が立ったまま熱心に絵を描いていると、私はいつもその傍らの一本の白樺の木蔭に身を横たえていたものだった。
。。。。堀辰雄 「風立ちぬ

風立ちぬ、いざ生きめやも》

ぞ~く ぞ~く してきませんか


久さん!何が言いたいのさ

アメリカで春樹を囲む文学シンポジウムがあって盛況のなか、多くの春樹シンパ達が語り合った」とさ。

自分は、これには入れないかぁ~
また、読んでみようかなと思ったとき考えた
「49 かなぁ 51かなぁ」

憲法変えますか?

本当にオリンピックやりますかぁ?

あなたもまだ やりますかぁ~?


って考えてみたら、私には「中庸」な心が欠けているのかなと思ったのさ。

「歳を繰る毎に増す中庸さを求めて旅に出る」。。。。久作


ちゅう‐よう【中庸】

1 かたよることなく、常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること。また、そのさま。「中庸を得た意見」「中庸な(の)精神」

2 アリストテレス倫理学で、徳の中心になる概念。過大と過小の両極端を悪徳とし、徳は正しい中間(中庸)を発見してこれを選ぶことにあるとした。

出典:デジタル大辞泉小学館