人声久語(拾遺帖つづり)

世の中そんなに捨てたもんじゃないよ あんまり頑張らないで 捨てられるものは捨てて行きましょう

宵待草

『宵待草』(よいまちぐさ) 竹久夢二

待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月も出ぬさうな


1910年(明治43年)夢二27歳の夏、房総方面に避暑旅行をした際、銚子から犬吠埼に向かい、海鹿島(あしかじま)町の旅館に宿をとった。
夢二にとってこの旅行は、離婚した家族とのひとときであったのだが、、、、

たまたま当地に来ていた女性、秋田出身の長谷川カタ(19歳)に出会う。
彼女は、成田の高等女学校の教師である姉のところに身を寄せており、旅館の隣には長谷川家があり、ちょうどそこへ家族を訪ねていたカタであった。

出会った夢二は、たちまち彼女に一目ぼれしてしまう。

夢二はあきらめきれなかったのか、翌年の秋、一人で再び海鹿島の地を訪れたのであるが。。。

長谷川家に彼女の姿はもうなかった。

勤務先の成田へ戻ったカタは既に嫁いでいたのだ。


いくら待っても来るはずのない恋人を思い、夢二は悲しみに暮れる胸の内を一篇の詩に綴ったのです

このような切ない恋心は、何故か男がよく似合う。。。。。

男の方が、惚れやすく、諦めきれぬ、厄介な性(さが)なのだろう。


ひとつ間違えば切なさを越えて、涙が滴り落ちるのが見えてしまうから

所詮、隠すのが下手、空いばりが情けない、それを認めず、人のせいにする、、、

だから、男は可愛くて、無邪気な阿保なんだと自戒するのです。

あっ! 。。。 私も 立派な男であった

しかし、夢二にはかないやしません

そんな、卑怯さが感じられないじゃないですか


50年足らずの短い生涯にわたり恋多き男であったとされる夢二

「宵待草」の原詩は次のようです(wikiより)

 遣る瀬ない釣り鐘草の夕の歌が
 あれあれ風に吹かれて 来る待てど
暮らせど来ぬ人を
 宵待草の
心もとなき想ふまいとは思へども
 我としもなきため涙
 今宵は月も出ぬさうな

海鹿島は、このチーバ君の左耳の突端に当たります。
今日は、足首の前側まで出掛けています。
もちろん仕事ですよ^^
千葉にお出での節は、私にお伺い下さい。
地名を言ってもらえば、県内ほぼわかりますよ。ただ、千葉都民在住地以外でね^^

 


f:id:tanokkyu:20190118104018j:imagewikiより