人声久語(拾遺帖つづり)

世の中そんなに捨てたもんじゃないよ あんまり頑張らないで 捨てられるものは捨てて行きましょう

美しいあなたへ。。。

この3か月ほどで自分の生活様式も少し変わったような気がするのです

いや、少し前に戻ったなぁと

それは、本を読む時間が増えたこと(何冊読んだことかぁ)

知りたがり、聞きたがり、触りたがり、やりたがり、、、出しゃばり

その中で、とても素晴らしい文章に出会いました

「美しいとは、、、」で始まるその言葉たちに嬉しくなるばかりでした

 

美しいと、そもそも何だろうか

私は、自然が時間とともに作り出したものこそ美しさの原型なのではないかと思う

あらゆる芸術は、自然を眺めたときの人間の感動から始まる

何十億年もの時間をかけて、私たちの宇宙が作りだされ、そこに生き物が生まれた

私たち人間はその究極の産物である  (多田富雄 免疫学者)

 

※多田さんは、「寡黙な巨人」などで知られますが、世界的な免疫学者でアレルギーなどの研究に新しい道を開くと同時に、免疫の仕組みを通して、人間や社会を考える独自の視点で、命とは何かを語りかけた。2001年に脳こうそくで右半身の自由とことばを失ってからは、自身の身体と心の変容を科学者として客観的に見つめ、言語装置を使いながら発表の場に立ち、鋭い視点の著作を数多く遺し2010年に亡くなっています(NHK人物評より)

 

そうして多田さんは続けます

そんな自然の中で我々人間は生きている

自然とは、崩壊してゆくもの、消滅してゆくものが含まれ、生まれてくるものと、

滅び消滅してゆくものにも人間は美を感じるのだという

時間が自然の中に作り出したものを発見したときに感ずる「美」

人間が作り出したものであっても、もとの自然を広げ、やがては自然に同化してゆくときに初めて「美」が達成されるのはないだろうかと

よって、自然に同化されない”プラスチック”や”コンクリート”に異様さを感ずることが私たちの自然の本性と言えるのでしょう

生まれから、死による消滅する営みの中にいる人間を含めて「美しい」ものが少しは分かったような気がします

何百年、何千年をかけて還ってゆく、そんな自然はとても強く美しいものなのでしょう

 

「美しいあなたへ。。。。。」添えて