人声久語(拾遺帖つづり)

世の中そんなに捨てたもんじゃないよ あんまり頑張らないで 捨てられるものは捨てて行きましょう

この一時(いっとき) 「刹那」

 

「刹那」とは、仏教で言うところの「時間の単位」である。

梵語で 「Ksana」 という。

指を一回はじく時間が "65刹那" とか、
"75分の1秒" とか言われていますが、ほんの短い時間、いっときなのです。

「時間」は人に平等に与えれ、好きなように使える「財産」といえるでしょう。

使っても、使わなくとも、残ることなく消えてゆきます。

「せつな い」ですねぇ
つらくてやるせなくなりませんか。

「切ない」とは、もともと「大切に思う」ことを言い、
「こころが切れるほどの切実な思い」を表していました。
とても、優美なことばなのです。


こうしている間にも、人生の残り火を燃やしているのです。

この短い時間のつながりこそが、私たちの「一生」であるという事になるわけです。

「刹那」のつながりこそが切ないことなのだと分かってきます。

今このとき、書いている私も見ている貴方にとっても大切な時間です。
大事にしましょう。

そんな気持ちで読んでもらえれば嬉しいです。

無駄にするも、しないも、貴方次第です。

私、次第なのですね。


この短い時間のつながりこそが、私たちの「一生」なのですよ。