みなとに吹く風
地震が発生していまーす。
避難誘導を行いますので、所員の後に続いてくださ〜い。
地震が発生していまーす。
どなたかいらっしゃいませんか〜
お客様はいらっしゃいませんか〜
階上まで、アリーナまで、急いで避難してください......
担架に運ばれた女性が無事に救護所に運ばれ救護班が駆け付ける。
私たちは、ヨコハマランドマークプラザ3Fまで、無事に誘導案内したのであった。
このような、避難訓練をヘルメットをかぶり、汗だくになりながら行った。
9月1日は、防災の日。
8年前の3月11日を経験した私たちには、今までのような安易な時間ではなかった。
先週は、北海道で起こり、2年前には熊本と、今年は大阪。。。。。。
安心して過ごせる日は来るのでしょうか。
私は、このような防災避難訓練をどこで行ったのでしょう。
横浜港に隣接したウォーターフロントに、「帆船日本丸」は、横浜船渠第一号ドッグに何時でも帆走可能なように係留されているのです。
今だに、帆船として海原を翔けることは可能なのです。
帆船日本丸は、1930(昭和5)年に文部省航海練習所の練習船として建造され今年で88歳米寿を迎えました。
1984(昭和59)年の引退を迎え、
日本丸を呼ぼう!
日本丸を活かしたい!
10都市(横浜、神戸、大阪、小樽、船橋、新湊、清水、豊橋、福岡、鹿児島)が誘致に名乗りを上げたが、約83万人の横浜市民の署名により我が横浜に決定されたのであった。
その帆船日本丸を含めたエリアを「日本丸メモリアルパーク」という。
その中に、みなと博物館 があります。
1859年7月1日(安政6年6月2日)開港された横浜ですが、「歴史と暮らしのなかの横浜港」をテーマに横浜開港159年を展示している港の博物館です。
ペリー来港までは、東海道からも外れた普通の半農半漁の村だった横浜が世界に名だたる港になったのです。
こんな横浜に興味津々じゃないですか?
港がなければ、横浜にはなっていなかったのです。
今その横浜、「みなと博物館」で展示案内をやったり、船に関する折り紙を一緒に楽しんだり、海図教室をやったりとそんなボランティアをやっています。細かな折り紙を必死にやる子供達の目は輝いています。
見栄えは悪っくても最後に完成した時に見せる笑顔に敵うものはないでしょう。
ある土曜日に、ダウン症と言われる少女がお母さんとおばあちゃんとやって来ていました。
休憩を終えたQさんは、席に戻りました。
しばらくはそれに気づかずに眺めていたら、もう一人のボランティアから、ここのおり方がわからないとSOSが入り代わって彼女の前に移りました。
それじゃ、最初から折り直そうか。
私の指先を眺めながら、実際に折っているのはお母さん。
指を一生懸命動かします。
そうだよ。
こうなると三角頭、次にひっくり返すと兎のシッポ。などと話ながら折っていると、ヤッタ!ヨシっ!バンザイ!と弾けるようになったのです。
完成した船を手にした彼女は、ヤッタ!ヤッタ!と嬉しそうに帰って行きました。
高校生かな?
お母さんから何度も「ありがとう」と言われ、「また来なよ」と彼女の手を握ったら握り返してくれました。
こちらが引くことなく、普通に接すれば、怖がっていないことが解るんですよね。
良かった。
もう一人のボランティアさんが言いました。
Qさんに代わったら、彼女の様子が変わったよ。
見る間に、朗らかになったよと。
何にも、自慢話ではないのです。
たかが、折り紙でこんなに幸せな時を与えてもらえるのです。
子供達の持っている素直な一生懸命さ健気さが嬉しいのです。
ありがとう。
土曜日には横浜に来てみませんか。
横浜を案内しましょう。
http://www.nippon-maru.or.jp/memorial-park/index.html